名取川埋もれ木とは、名取川に沈む流木古材である。数百年数千年の埋没樹木で、黒色を帯びている。燃やすと赤茶色の灰になり、香炉灰として珍重され、また材は硯箱や文台などに利用され、これまた文人諸侯に珍重された。仙台藩の名産品で、幕府要人、大名、公家衆へ献上された。勅撰集にも名取川埋木を詠んだ歌が散見する。
名取川の埋もれ木(クリ材) 名取川の埋もれ木(クリ材)
名取川せせの埋れ木あらはれはいかにせむとか逢見そめけむ 古今集 よみ人しらず
嘆かずよ今はた同じ名取川瀬瀬の埋もれ木朽ちはてぬとも 新古今 摂政太政大臣藤原良経
名取川春の日数はあらはれて花にそしつむ瀬瀬の埋れ木 続後撰 藤原定家朝臣
みちのくにありてふ川の埋れ木のいつあらはれてうき名とりけん 続古今 源時清
名取川瀬瀬にあるてふ埋れ木も淵にそしすつむ五月雨のころ 新後撰 従三位為継
仙台藩は、伊達綱村・伊達吉村時代には、関白近衛基熈へ名取川埋木文台を贈り、記念の歌会を催していた(名取川埋木文台勧進之歌)。この宴は元禄年間に開かれたことが判明している(松浦「埋もれ木に花が咲く」)。参加者は仙台藩主伊達綱村・吉村父子、一関藩主田村宗永、連歌師猪苗代兼寿の四名のほか、関白近衛基熈を筆頭とする主な公家たち二十七名である。仙台藩主と朝廷の主要メンバーたちの親密ぶりが窺いしれる。この歌仙の内容は、藤原定家の名取川埋木の和歌「名取川春の日数は顕れて花にぞ沈む瀬瀬の埋もれ木(続後撰集)」の三十一音文字を冠字(韻字)として、関白近衛基熈以下三十一人が「花(桜)」をテーマに各々が題して次々に和歌を詠んだ「勧進歌」「続(つぎ)歌」となっている。
「名取川埋木文台勧進之歌」(初めの部分、元禄17年ころ成立、江戸後期の写) → 名取川埋木文台勧進之歌(1)
仙台埋木 青葉山産 仙台埋木薄片・仙台埋木製の枝折 広瀬川産
仙台埋木細工 かいしき(復元) 仙台埋木細工の茶盆「松島五大堂」 と香合
仙台埋木(珪化木・亜炭) 竜ノ口沢産
・竜ノ口川から拾いあげた当初、この二つは元は一体であったが、自然乾燥により、軟質亜炭の部分が弓なりに反って、剥れてしまった。反らない方は石のように硬い埋木化石である。
下は仙台市太白区愛宕神社北側の広瀬川愛宕緑地川原で採集した亜炭埋木化石。珪化して石化した部分(白色部)と、そうでない木質部分(褐色部)が共存している。珪化したものや、珪化したものが混じっている亜炭などは埋木細工に適さない。年輪幅は現代の樹木と同じくらいで、1~2mmほどである。幅3mmのことろもある。このような圧縮されていない亜炭樹木は立木のまま埋没したと想像される。仙台亜炭にはこのように年輪幅が広いものと、圧縮されてほとんど年輪が見えないものとがある。埋木化石は木目もあり、断面は青灰色で綺麗である。珪化木同士で敲くと、キンキンと音がする。
仙台埋木化石(珪化木) 広瀬川産。 円形の部位は木節(枝の根本部)
埋木化石 仙台、広瀬川産
次は若林区飯田の広瀬川原からの採集亜炭。湿っている亜炭は乾燥すると、ひび割れが激しく、割れがすすんで、石炭状のブロックになっていき、最後はバラバラになる。主な割れの発生面は振り被った地層面に沿っていると思われる。切断断面に、年輪はほとんど見えない。この亜炭は大木の幹部亜炭ではなく、枝葉草類の亜炭と思われる。一部細い幹を含むが、若く軟らかいと見えて、圧縮により、ほぼぺちゃんこ(せんべい状)になっている。乾燥により、薄い層に剥離していく。薄い層が何枚も重なりあっているのが観察される。小さな破片から置物を作ってみた。
仙台埋木(亜炭) 広瀬川産 仙台埋木(亜炭) 層の重なり観察 埋木置物(仙台埋木、写真左の亜炭から製作)
※参考 松浦丹次郎著 「埋もれ木に花が咲く ~名取川埋もれ木と仙台埋木細工~」 2016年11月25日 土龍舎刊 380頁 1,800円 税別
松島天麟院から与謝蕪村へ譲られた名取川埋木
名取川埋木文台勧進の歌
名取川の埋もれ木と伊達氏
名取川の埋木灰と伊達氏
伊達政宗と香
名取川の埋もれ木、ついに発見
仙台埋木細工と埋木化石
阿武隈川の埋もれ木
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