伊予の扶桑木と僧明月  

     仙台埋木との対比

 伊予の扶桑木は化石木である。

 扶桑木はおよそ200万年前~100万年前の化石木とされていて、倒れて朽ち残った破片が時折伊予の国の山の地層の中から出土したり、海の底から出土したりしていた。天明2年(1782)春~3年の夏、愛媛県松山市の圓光寺住職明月は、長崎で、懐中の嚢の中から黒い色をした朽ち木の小片を取り出し、医師で紀行家の橘南渓に見せた。それは扶桑木の一片であるといい、木理鮮やかで黒檀に似ていた。僧明月が書いた「扶桑樹伝」(寛政6年刊 1794年)によれば、伊予国にあった天まで届かんとする巨木の扶桑木は、「梢は大空を払い、根は海山にまたがれり。是が故に、日出る頃は、筑紫をも覆ひ、入るときは、陸奥の果までもかげろひて、年のみのり(実り)を妨」いだという。扶桑木は中国の古典に記されているので、僧明月はこの扶桑木の一片を中国の人々に見せたいと考えていた。明月が長崎に来た目的はそのためであり、扶桑木の伝記を真名(漢字漢文)で書上げる準備をしていた。
 

 扶桑木 伊予市森、大谷海岸

 

 大谷海岸は低い丘陵地が海に浸食されて、所々、崖が剥き出しになっている。その崖は礫層がほぼ垂直方向に倒れて観察される。海岸は数キロメートルあり、南方向へ行くほど古い地層が順々に観察できることになる。地層の年代は新生代第三紀に属す。おおざっぱに言えば、数千万年前~数百万年前の地層である。もちろん様々な化石も含まれている。崖から剥がれ落ちた化石木や海底から剥がれて岸に押し流された化石木が、丹念に探せば、海岸に広がる数億個の小石・礫の中にたまに見つかることがある。伊予市森の大谷海岸に打ち寄せられた巨大な扶桑木が伊予市双海地域事務所ロビーに展示されている。大きさは115cm*57cm*85cm。

 扶桑木 扶桑木の破片 伊予市森、大谷海岸で採集

扶桑木の名の由来

 僧明月は伊予各地から出土する化石木の連鎖を巨大な一本の木と見なし、日本書紀に見える巨木「御木の倒木」「御木のさお橋」(970丈、およそ3000m)の痕跡であろうと推理し、この化石木を「扶桑木」と名付けた。何故なら、中国ではこの巨木を日本の道しるべとして利用し、日本国を「扶桑国」と呼んでいたことが中国の古書に見えるからであった。これはあくまで僧明月の見解である。
  扶桑木 圓光寺 (愛媛県松山市)   扶桑木 僧明月像 (松山市、圓光寺)


仙台埋木

  仙台の山埋木(亜炭)は市内を流れる広瀬川やその支流竜ノ口沢で破片を拾うことができる。地質年代は四百万年前~五百万年前と言われている。江戸時代後期~明治時代には、伊予の扶桑木と仙台埋木は化石木の産地として知られた存在だった。明治初期には硯石や装飾品・器物に加工されていたことが諸文献に見える。

 

仙台埋もれ木盆   仙台埋木 盆(松島五大堂図)

  竜口埋れ木 仙台市 広瀬川の支流、竜ノ口沢の川底に見える仙台埋木(亜炭)

 仙台埋木 仙台埋木(亜炭)  竜ノ口沢産
 埋もれ木 仙台埋木(亜炭)   仙台市 広瀬川の川原

参考: 「埋もれ木に花が咲く~名取川埋もれ木と仙台埋木細工」松浦丹次郎著


名取川の埋もれ木、ついに発見
阿武隈川の埋もれ木
仙台埋木細工の歴史

 お問い合わせ先         伊達の香りを楽しむ会

inserted by FC2 system