仙台埋木細工と仙台藩士

     仙台の埋木細工は仙台藩下級武士の内職から始まったというが、実は・・・

     仙台埋木と名取川埋木は別物!!? ? ?

仙台埋もれ木盆  こうごう
           仙台埋木細工の「松島五大堂」盆 と香合

  「仙台埋木」では主に茶托や盆が造られ、幕末から明治・大正にかけて仙台土産品としてかなり売れたらしい。特に観光地「松島」では相当売れたようである。旧集の「仙台市史」などによれば、この「仙台埋木細工」は江戸後期の文政5年(1822)に仙台藩の藩士山下周吉が青葉山で山埋もれ木を発見し器を造ったのがきっかけで、下級武士の内職として普及したという。

  しかし、この話は検討を要するかもしれない。何故ならば、文政のはるか以前から名取川埋木で器物を作っていた事実があるからである。

  そして、最近もう一つ疑念が出てきている。それは、この名取川埋木の中に、青葉山から崩れ落ちた山埋木が竜ノ口渓谷を経て広瀬川へ流れ、さらに名取川へ運ばれて行って、本来の純粋な川埋木に混じっている可能性が考えられるからである。それを裏付ける資料もいくつか出始めているから、今後の研究が期待される。

  「仙台埋木細工」は伊達市内の一般家庭の土蔵や物置から出てきたり、時たま茶箪笥の奥に見かけることがある。鷹の飾り物などは今でも飾られていたりする。近年、高級品として茶道で使う棗などの小品も作られている。

  注意したいのは、現代において、埋もれ木細工として有名な「仙台埋木」は、広瀬川の断崖やそれに続く青葉山・八木山の山中の亜炭層から出土する亜炭物で、「向山層」と名づけられた地層に含まれているということである。これはまったく名取川の埋もれ木とは別物である。
  「向山層」は大部分が火山噴火物の層である。亜炭層は主に二層あり、下部の亜炭層は四五百万年前の噴火でセコイヤやメタセコイヤなどの巨木林が生い茂っていた平地を大火砕流が襲った結果出来たらしい。もちろん泥流が襲ったこともあったろう。上部の亜炭層は当然それより少し新しい時代に多くの樹木が火山灰等により埋まって出来たらしいが、成因はあまりよく分からない。霊屋橋付近の広瀬川河床や竜の口峡谷の断崖にそれらの地層が見られ、亜炭片や埋もれ木の立ち木株の姿が観察されるという(「せんだい地学ハイキング」)。「仙台市史」はいまから約三百万年前〜五百万年前の亜炭層としている。「仙台埋木細工」で使う材料は上の亜炭層のものを利用している。

  「仙台埋木」には石炭や化石のような硬い炭質亜炭と鋸や彫刻刀で削れる軟質の木質亜炭の二種がある。この二者は一つの層の中に混在している。一本の木でもこの混在が見られる。「木質亜炭」のみが「埋木細工」に使用可能という。また炭質亜炭の中には一部珪化したもの(珪化木という)も見られる。

  亜炭の不良品は明治以降風呂焚きなどの燃料としても使用された。特に燃料不足の昭和二十年代は生産量がピークで、亜炭鉱山が四十以上あったらしい。しかし燃料不足が解消した昭和四十年代には多くの亜炭鉱山が閉山し、現在では埋木細工の材料が枯渇して「埋木細工」の製造・販売はほとんどされなくなった(相原陽三「亜炭さまざま」ほか、『市史せんだい12号』所収)。最近は復活のきざしもあるようだ・・・。

  だから、橘南渓が仙台に来たのは仙台埋木が作られる五十年も前の天明年間で、彼が「東西遊記」の中で言っている埋木は「名取川の埋もれ木」であると考えられる。八木山や広瀬川上流竜ノ口沿いの青葉山で取れる山埋木(青葉山埋木・仙台埋木と呼ばれる)とはまったく別物であると言ってよいかもしれない。

竜口  竜口埋れ木
     仙台市 広瀬川の支流、竜の口峡谷、川底に見える仙台埋もれ木(亜炭) 
仙台埋もれ木 
   仙台埋もれ木 亜炭 広瀬川支流竜ノ口産
     川から拾いあげた当初、この二つは元は一体であったが、自然乾燥により、軟質亜炭の部分が弓なりに反って、剥れてしまった。反らない方は石のように硬い硬質亜炭である。
仙台埋木 
   仙台埋もれ木  硬質亜炭 竜ノ口産


--------------------------------------------------------------

 仙台市太白区八本松付近の広瀬川の石川原で山埋もれ木の小片を採集することが出来た。ここは旧四号国道と四号バイパス道の中間地点で、長町から近い場所である。ここから約2km~3kmで名取川に合流する。また若林区飯田近くの広瀬川の川原でも大きな亜炭片(埋木片)を見つけることが出来た。竜ノ口沢や霊屋橋付近の「山埋木」片が名取川へと流れ下っていることを予感させるのに十分な資料であろう。
 埋もれ木 埋もれ木

  しかし、合流地点から下流の名取川でこの種の山埋木等が見つかっても、それは広瀬川から流れてきたとはいえない。何故ならば、この合流地点からおよそ6km上流の名取川の川底にも「山埋木」の供給源があるからである。そこは、名取川が仙台市太白区富田の浄水場・富田病院と名取市高舘熊野堂の熊野神社のラインを横断している。ここの河床には竜ノ口の向山層とそれより古い旗立層・綱木層が連続して連なり、その長さは約900mほどである。これらの層の中に山埋木を含む層が数本あり、下流域へ山埋木を供給していると考えられる。この場所から300m~400m下流の川原で実際にその山埋木片を拾うことができる。ただその供給量は広瀬川からの供給に比べ圧倒的に少ない感じがする・・・。

埋もれ木

 
参考: 「仙台埋木細工の由来」石垣博著(昭和46年12月刊)
    「阿武隈川の埋もれ木」松浦丹次郎著(平成21年11月18日刊)

名取川の埋もれ木と仙台藩祖伊達政宗
阿武隈川の埋もれ木

inserted by FC2 system