土龍舎の本

  ●「ふくしま伊達の名勝 高子二十境 〜高子熊阪家と白雲館文学〜」   頒価1,500円
  ● 江戸時代、ふくしまの昔話 絵本「伊達の桃太郎」      上製本 頒価2,500円
  ●「埋もれ木に花が咲く ~名取川埋もれ木と仙台埋木細工~ 」   頒価1,800円
  ●「阿武隈川の埋もれ木」                     割引特価1,000円
  ●「(奥州)伊達氏誕生(改訂版)」                 頒価1,200円
  
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    土龍舎 (どりゅうしゃ)
      〒960-0755 福島県伊達市梁川町中久保39-3    TEL/FAX 024−577−6431
      ●FAX・電話等にて注文受付中     
           ☆本の送料は基本的に370円です(レターパックライト)。「伊達氏誕生」と「阿武隈川の埋もれ木」は送料180円(スマートレター)。
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「埋もれ木に花が咲く ~名取川埋もれ木と仙台埋木細工~ 」 松浦丹次郎著 -------------------------------------------------------------

   渾身の力作、多くの謎が明らかとなる!!!           

    平成28年11月25日刊   お譲り頒価  1,800円(税別。価格は印刷単価より破格の安値に設定してあります。印刷協力金とお考えください)・・・    
    ●A5判組 本文全 380ページ モノクロ写真およそ400枚  ●口絵8ページ、カラー写真40枚 

 本 本 本
目次より

 口絵写真
はしがき
第一章 埋没樹 ------------------------------- 1
1埋没樹の諸相 2河川流域の埋もれ木 3海の埋もれ木と漂流樹 4石炭と亜炭と珪化木 5不灰木と木煤 6梁川町内の化石 7伊予国の扶桑木
 第二章 名取川の埋もれ木 ----------------------- 49
1名取川と埋もれ木  2橘南渓の名取川埋木探索  3名取川名産の埋木灰と怪石  (閑話休題)新井白石と伊達の霊山城  4伊達氏と香 5名取川埋木文台勧進の歌 6文台について 7名取川埋もれ木献上の記録 8名取川埋もれ木の知名度
 第三章 阿武隈川の埋もれ木  ------------------ 141
1阿武隈川の埋もれ木  2阿武隈川の埋もれ木の献上  3名取川埋もれ木の衰退と阿武隈川埋もれ木の台頭
 第四章 仙台埋木細工の前史 -------------------- 165
1青葉山亜炭と仙台埋木細工  2滝沢馬琴所蔵の「名取川埋木化石硯」  3滝沢馬琴所蔵の「名取川埋木枝折」と只野真葛  4内池永年が愛用した「名取川埋木」製の枝折  5「広瀬川埋木枝折」と「名取川埋木枝折」
 第五章 黎明期の仙台埋木細工 ------------------- 195
1奥羽戊申戦争と長崎振遠隊  2長崎へ運ばれた「名取川埋木」  3松浦玉圃の彫刻指導  4大阪にあった「名取川埋木」の菓子皿  5ウィーン万国博覧会  6東北御巡幸と埋木細工  特記 東京国立博物館所蔵の埋木細工  7第一回内国勧業博覧会と埋木細工  8ついに明かされた埋木灰生産者の名  9錦絵「陸前国松島景並埋木細工の図」
 第六章 仙台埋木細工の隆盛と衰退 --------------- 255
1鉄道の開通と松島みやげ  2埋木細工の改良  3隆盛する仙台の埋木細工  4仙台埋木細工の紹介  5仙台埋木盆に見える風景  6仙台埋木製硯について  7仙台埋木細工の衰退
 第七章 川埋もれ木の家 ------------------------- 313
1瑞巌寺埋木書院  2針久支店の埋木座敷  3擬洋風建築、旧亀岡家住宅の埋もれ木材  4埋もれ木の建具や家具など
 第八章 川埋もれ木の復権 ----------------------- 333
1川埋もれ木の風景(阿武隈川)  2川埋もれ木の引き揚げ作業  3埋もれ木の樹種名の特定  4 川埋もれ木の魅力  5埋木灰の正体  6川埋木製品の試作と展示活動  7ついに発見、名取川埋もれ木  付記 東北地方太平洋沖地震で出現した埋もれ木
参考文献等
資料提供者等
あとがき
小見出一覧

「はしがき」より
 中世以来、名取川に産する埋もれ木が何故に京の人々の歌に多く詠まれたかは、偏に名取川が、世に知られてしまうという意味の「名取」を冠した名称の川であり、それが「埋木」という言葉が内包するイメージと正反対の意味を持っていたためであろう。 その名取川の埋もれ木を燃やした灰が赤色で火もちが良い灰であることを誰が発見したかは知らない。室町時代、奥州の有力武将の一人であった梁川城主伊達成宗が、名取川埋木に添えて埋木灰を都人への献上品に選んで以来、埋木と埋木灰は評判となった。江戸時代には仙台藩主伊達氏は公家・大名への献上品とした。茶人・文人等の間でも、もてはやされた。
 江戸時代の中頃、佐久間洞巌がその著「奥羽観跡聞老志」に名取川の水材と怪石について記している。それらは名取川の名産品であったという。この記事を読んで以来、私はこの二つのことがいつも気になっていた。それらは古代に編まれた「陸奥国風土記」に初見するというが、その陸奥国風土記は現残していない。佐久間は水材とは川に沈んだ材木ということで、埋もれ木の別名とした。しかし怪石については特に述べることがなかった。
 私は長い間、怪石のことを、怪しい姿の石という意味にしか理解できていなかった。庭石に使うような大きな石のイメージをもっていた。硯の周りや机の上に飾り置く小さな石を「怪石」と呼ぶらしい。掌サイズのものである。書道家や文筆家の世界ではふつうに知られた存在であった。
仙台を流れる広瀬川は名取川の支流である。この川埋もれ木を全国的に紹介しようとするなら、広瀬川とは言わずに名取川という筈である。そのように考えて「奥羽観跡聞老志」の文脈を再読するとき、私は名取川の範囲を狭めて、「広瀬川の怪石」としてみたのである。竜ノ口沢から広瀬川へ流れでる珪化木(亜炭)や霊屋橋下流の広瀬川河床に露頭する珪化木こそ「怪石」になりえると直感した。この珪化木は五百万年前の遺物である。さらに私は、長崎で見つかった「名取川埋木」(実は広瀬川の亜炭)の置物を見て、その赤黒色の美しさに見惚れ、「怪石」たり得ると感じた。特に広瀬川の珪化木は珪化していない軟質の亜炭の部分が複雑に入り込んでおり、長い年月をかけてこの部分が剥がれ落ち、あるいは腐れ落ちて、魅力的な怪しげな姿作り上げていくと考えられる。日本全国でこのような珪化木片を拾える場所は仙台の広瀬川以外にない。だからこそ広瀬川の怪石は珍しいのである。
 広瀬川下流域の川原には黒色の塊がたくさん転がっている。これは一般には亜炭と呼ばれている。この黒い塊は乾燥すると小片にひび割れ、薄く剥がれて、捲れ上がる。川原のあちこちにあり、誰もが目にしていると思われる。乾燥する前に薄く剥がし、これに重しをかけて平にして、乾燥させてから磨くと、こまやかな美しい杢を有する枝折ができる。江戸でもたいへん人気があった。文人たちに「名取川埋木枝折」と呼んでいた。本来は「広瀬川埋木枝折」と呼ばれるべきであったが、本流である名取川が川埋もれ木の産地として有名であったため、「名取川」を冠したのかもしれない。
 青葉山の亜炭(山埋木)を利用した仙台埋木細工は幕末に近い文政五年に始まったとされる。角盆や茶托の類が製造され、少しずつ売れはじめた。ちょうど名取川の埋もれ木が枯渇して採集が困難となっていたため、歓迎された向きがある。鉄道が開通した明治中期以後、松島土産として盛んに製造販売された。松島の風景を刻したものが多い。後には「仙台埋木細工」と呼ばれた。その後昭和初期に生産が落ち込んだが、戦後再び生産量が増えた。しかし人気の低迷と原材料の枯渇などにより、昭和四十年代以降急激に減少し、現在の生産は微々たるものになった。
 不思議なことに仙台埋木細工も明治初期ころは「名取川埋木」の名を冠して販売されていた。先行していた「名取川埋木枝折」が同じ亜炭材料であったため、それに倣ったとも考えられる。ただし仙台埋木細工用の亜炭を燃やしても世に言う「埋木灰」は採れない。
以上は本書が述べようとする趣旨である。それは単なる仮説であると非難されるかもしれない。私としては実証したつもりであるが、その判断は読者の皆さんに委ねたい。
   平成28年11月吉日                                松浦丹次郎

小見出一覧
(第一章 埋没樹)
各地の埋没樹2 川の埋もれ木6 河川改修で埋もれ木が出土9 浄化槽建設で埋もれ木が出土9 七ヶ浜町にあった一木亭10 「一査室記」・「一木亭記」・「文匣材質鑑定記」等の記録11 海の埋もれ木と大地震15 石炭17 亜炭と珪化木18 広瀬川で海獣パレオパラドキシア化石を発見25 江戸時代に記録された広瀬川の貝化石27 小学校裏山で木や貝の化石などを採集29 橘南渓と僧明月、長崎での出会い31 「扶桑木略記」と「扶桑樹伝」の関係34 「扶桑木=伊予国」説の立役者は僧明月39 伊予市森の扶桑木41 松平定信所蔵の扶桑木製の硯44 もう一つの扶桑木説、中井竹山履軒兄弟44 中島広足の扶桑木否定論47
(第二章 名取川の埋もれ木)
名取川と広瀬川50 歌枕の地、名取川53 名取川埋もれ木の歌54 仙台の奥田氏から名取川埋木を入手63 橘南谿の埋木感64 佐久間洞巌著「奥羽観蹟聞老志」65 怪石69 宮城郡と名取郡の郡境71 水材と埋木灰71 新井白石にも贈られた名取川埋木灰76 壺ノ碑と多賀城碑77 初めての名取川埋木・埋木灰の献上82 奥州伊達氏とは83 伊達五山と京都東福寺仏智禅師84 将軍足利義詮夫人と九代伊達政宗夫人は姉妹85 十四代伊達稙宗、奥州守護職に就く86 京都東福寺で初代伊達念西五百回忌法要  86 仙台藩祖伊達政宗と香87 香の始まりと六国五味90 久留米の「香木」92 香あそび93 二代伊達忠宗と三代伊達綱宗95 四代伊達綱村と五代伊達吉村、綱村後見人田村宗良96 名取川埋木文台勧進の歌98 歌集の特徴105 勧進歌参加者と歌集成立の時期106 伊達政宗百回忌追善和歌110 鳥羽文台114 二見文台118 西行自作の額とゆかりの文台124 与謝蕪村と名取川埋もれ木126 久我通誠・久我通兄と名取川埋もれ木132 伊達家が九條家へ名取川埋もれ木を献上133 名取川埋もれ木の香合と櫛、武者小路千家四代直斎が製作134 仙台藩が名取川埋もれ木を独占137 名取川埋もれ木の仙台名産ランキング138
(第三章 阿武隈川の埋もれ木)
桑折での句会と阿武の松原142 粟野村の川原に大埋もれ木が出現144 安積の埋もれ木寺146 熊阪台州「信達歌」と埋もれ木146 古川古松軒の「東遊雑記」151 前桑折代官布施弥市郎へ埋木を献上153 白河藩主阿部正権へ埋木を献上156 内池永年の埋もれ木趣味157 小野蘭山「重修本草綱目啓蒙」に見る阿武隈川埋もれ木158 中島広足「歴木弁」に見る阿武隈川埋もれ木159 阿武隈川の埋もれ木が仙台藩の献上品に161 「愛媛面影」に見る陸奥国埋木162
(第四章 仙台埋木細工の前史)
埋木細工の開始者は山下周吉166 青葉山の亜炭地層「向山層」167 仙台の珪化木には軟質亜炭が同居169 「耽奇漫録」と滝沢馬琴173 松前藩と伊達郡梁川176 馬琴の「名取川埋木化石硯」179 広瀬川下流でも名取川の下流でも仙台埋木が採集できる191
(第五章 黎明期の仙台埋木細工)
奥羽の戊辰戦争196 長崎振遠隊隊員光井潤助198 長崎の池原柷園201 記念すべき明治元年の「名取川埋木銘」202 「名取川埋木」置物は名取川埋木でなかった204 またまた「名取川埋木」皿は名取川埋木でなかった213 明治五年「名取川埋木ノ由来」214 「埋木細工」の初見資料217 明治九年天皇の東北御巡幸222 御巡幸記「埋木の花」223 福島と仙台で埋もれ木を御覧になった226 明治十年第一回内国勧業博覧会240 「埋木細工」は青葉山の山埋木製241 「広瀬川埋木」「山屋敷埋木」「青葉山埋木」の呼称の存在242 九人が入賞、うち二人が「沈水木製器」を出品244 「名取川埋木」の名称使用の裏事情246 その人の名は名取郡四郎丸村高橋彦三郎249 明治十三年物産博覧会253
(第六章 仙台埋木細工の隆盛と衰退)
仙台駅の開業256 埋木細工の「名取川埋木」は名取川埋もれ木でなかった258 東京工業学校井手教授の2埋木細の工診断と指導260 第五回内国勧業博覧会へ出品265 「広瀬川埋木」の呼称の意味265 大阪毎日新聞の博覧会報道記事「埋木細工」267 報知新聞の記事「仙台の埋木」272 初めて明らかになった仙台埋木原木の圧縮率277 仙台亜炭の実像280 ジグザグ年輪の正体283 明治四十年ころの埋木細工製造者たち286 大正~昭和期の仙台埋木文献資料288 黒埋木と赤埋木についての言及294 大正・昭和の亜炭鉱山295 「松島」「壺の碑」「名取川」の図301
(第七章 川埋もれ木の家)
埋もれ木建築の白眉、八木家別邸「自然堂」314 川埋もれ木の一木造り316 「自然堂」が松島の瑞巌寺へ移築、埋木書院として保存する319 佐藤国分坊著「仙台巡杖記」323 針久支店の埋木座敷325 旧亀岡家住宅には埋もれ木がいっぱい327 阿武隈川の埋もれ木を愛した亀岡正元327 民家の建具などにも埋もれ木が見つかる330 埋もれ木の花台・花入332
(第八章 川埋もれ木の復権)
埋もれ木を燃やしたら鉄が採れた345 流木に鉄分が滲入して黒くなる346 柿渋と鉄の反応実験347 ナラ材と鉄の反応実験350 琉球黒檀と黒柿351 なぜ柿の木は黒くなるのか352 川埋もれ木による試作品353 川埋もれ木の展示活動358 福島での展示359 仙台での展示360 ウモレレの誕生、川埋木と山埋木の合作360 百年ぶりの発見か、名取川埋もれ木364

 著者略歴(抄)
昭和26年粟野村(現伊達市)生まれ。東京学芸大学教育学部中退、福島大学行政社会学部卒。これより前昭和57年夏梁川町の広瀬川の川底で大きな骨の化石を発見、一部を発掘する。この化石は昭和59年夏梁川町により発掘調査され、1600万年前の海獣パレオパラドキシアの化石と判明。平成21年3月伊達市役所を退職。平成25年、「高子二十境」にて福島民報社出版文化賞受賞。現在、郷土史研究と埋木研究、埋木木工にいそしむ。
 福島県史学会会員。
著書 :「伊達氏誕生」(昭和57年9月 寂静院刊)  「伊達氏誕生」(昭和62年9月 土龍舎刊)  「阿武隈川の埋もれ木」(平成21年11月 土龍舎刊)  「高子二十境」(平成24年8月 土龍舎刊)  「埋木に花が咲く~名取川埋もれ木と仙台埋木細工~」(平成28年11月刊、土龍舎)
分担執筆 : 「伊達郡の歴史」(平成11年11月 郷土出版社刊。「梁川城の攻防、伊達政宗の敗退」「保原のつつこ引き祭り」「高子村熊坂家と白雲館文学」「暴れ狂う火と風と雨と川」「天明の飢饉と天保の飢饉」を執筆)  「伊達町史第1巻通史編」(伊達町刊)
その他の主な執筆 :「金原田八郎と信達世直し一揆」「昭和期の戦争資料展」「熊坂適山」「伊達地方の養蚕業」「高子二十境の場所について」「粟野の地名由来と伊達氏三代」「二野袋の地名由来と掛田御前」「梁川八幡と龍宝寺」「陸奥国金原田保の位置」「上杉氏の取箇法と七百文替出目」「梁川町の和算家たち」「桑折藩と五十沢陣屋」「梁川化石海獣パレオパラドキシア発見記」「蠣崎波響・東東洋と中木維明について~一つの画賛をめぐって~」「伊達氏ゆかりの史跡を訪ねて」など。

「埋もれ木に花が咲く」正誤表   ← 印刷はこちらから

「伊達氏誕生(改訂版)」 松浦丹次郎著 -----------------------------------------------------------------------------------------------

  昭和62年9月29日発行  B5判170ページ  頒価1,200円(税別)
    昭和57年発行の初版は絶版

 およそ800年前、伊達氏初代の血をひく一人の男「貞暁」を、伊達氏は鎌倉幕府の次の四代将軍に就けようとした陰謀がありました。この陰謀は露見してしまい、伊達氏と貞暁は北条氏に追われました。その十年後に今度は、次の将軍になってほしいと、前将軍源頼朝の正室北条政子から要請を受けたこともありました。しかし貞暁は、自ら一眼を潰して、丁重に辞退したのです。この男の父は前将軍源頼朝であり、母は頼朝側室の大進の局でした。実は側室大進局の父が伊達氏初代念西とされる人物で、当時保原の高子岡や梁川の城に住んでいたのです。大進の局の領地も現在の伊達市霊山町山戸田地区にあり、彼女が使用したという井戸も残っています。陰謀をはかった人物は伊達氏第二代の為重です。当時為重は「伊達氏」を名乗ることも許されませんでした。伊達氏の世系に入れることもはばかられました。陰謀が成功していれば・・・、将軍職を辞退しなかったなら・・・。過ぎ去った歴史はどうにもなりません。

 本

  目 次
 第一部 伊達氏誕生  
 付記 1初期伊達系図                 2朝宗・為重・貞暁に関する誤解 
    3粟野地蔵尊大仏建立願文            4大局の井戸 
    5粟野大館の観音                 6羽州資福寺の観音 
    7伊達五山観音寺と義広建立の観音像       8朝宗と宗村について 
    9陸奥国金原保の位置 
 第二部 梁川八幡宮と龍宝寺
 付記 1梁川八幡宮祭礼規式写             2八幡山亀岡寺歴代 
    3恵沢山龍宝寺歴代               4梁川八幡御祈祷太麻 
    5恵沢山龍宝寺と信達三十三観音巡礼       6梁川八幡宮のご神体と祭礼 
    7伊達五山東昌寺                 8伊達信夫廻見覚書 
    9亀岡八幡宮代参八幡氏由緒           10丸森の亀岡八幡宮  
 ※昭和57年に発見した骨化石はサメではなく、海獣パレオパラドキシアの化石(1600万年前)であったと訂正した写真記事を掲載。この化石はカバに似た四足の動物で、ほぼ一頭分の骨化石が残されており、たいへん珍しく貴重なもので、昭和59年夏に梁川町により全体発掘された。現在は復元されて福島県立博物館に収蔵展示されている。福島県指定文化財。

 本2

「ふくしま伊達の名勝 高子二十境 〜高子熊阪家と白雲館文学〜」 松浦丹次郎著 -----------------------------------------------------------------

        《平成25年度第36回福島民報出版文化賞受賞》

平成24年8月31日発行  A5判270ページ   頒価1,500円(税別)   

「二十境」の解説と、その創始者熊阪覇陵と息子台州の生涯・思想・父子愛を描いた感動物語。高子二十境あんない、最良のガイドブック。
 今から200年前、覇陵は奥州伊達郡高子村(現在の伊達市保原町内)の周縁に景色の良い場所を二十箇所選んで、名前をつけ、漢詩に詠んで楽しんだ。これが「高子二十境」である。中国唐の詩人王維が創った「輞川荘二十景」を真似たものである。「輞川荘(もうせんそう)」は西安の東南の郊外にある。というより覇陵は詩仏と尊称される世界的詩人王維の「輞川二十景」を向こうに廻して、もう一つの詩境「二十境」を日本に実現したのである。その意味で「高子二十境」は世界的文化遺産であると言っても過言ではない。
 「高子二十境」は現実の風景と幻想の風景の二重奏であり、熊阪氏親子孫三代の漢詩の唱和が織りなす芸術作品であると言ってもいい。熊阪台州は父の追悼集「永慕編」を天明8年(1788)に出版した。父の偉大な業績と二十境図と熊阪氏の二十境漢詩などが掲載された。全国から二十境などの優れた漢詩が300首寄せられるなど大きな反響があった。熊阪家屋敷は白雲館という。伊達地方の俊英たちが集まり、中国古典や漢詩文の修練に熱中した。所蔵する本は一万冊以上あり、江戸の文人たちの間でも話題となった。台州には漢詩集、紀行文、戯作物、思想書などの著作がある。養蚕書を著した中木維明などの優秀な門人たちも輩出した。
 高子二十境は江戸の高名な画家谷文晁の二十境図しか知られていなかったが、「永慕編」初版には地元伊達郡の画家周俊が描いた二十境図が掲載されていたことを、本書が初めて明らかにした。すなわち谷文晁の二十境図が載る「永慕編」は改訂版であったのである。二十境それぞれの地名の由来(名付けかた)も独自の見解を示している。熊阪家が保原の中村から隣村高子村へ移った事情も詳細に述べられている。
 しかし残念ながら熊阪家は幕末〜明治初期に衰退した。多額の貸付金が滞り、経営が傾いたことが直接的な原因と思われる。さらには、日本の時代の潮流が漢学より蘭学にあったためであろうか・・・。白雲館には日本国や外国を考える姿勢がなく、適塾や松下村塾のような魅力に欠けていたのも一因と思われる。

 本

「著者あとがき」より
 熊阪台州さんの「二十境記」をほぼ完全に解読できて、ほっとしている。
今回は二十境の本当の場所の解明に加えて、高子熊阪家の歴史についてもある程度まとめることができた。先人たちのご研究や資料提供者の方々のご協力のおかげ思っている。
本書で二種類の「高子二十境」の原図を紹介することができた。谷文晁よる二十境図はつとに知られていたが、地元伊達の画家周俊による二十境図は「永慕編」初版に掲載されたものの、すぐに谷文晁の図に差し替えられたために、福島県内には恐らく残存していないであろう貴重な図である。たぶん福岡大学図書館所蔵の一冊だけが唯一のものであろう。谷文晁の二十境図は福島県立図書館所蔵の改訂版「永慕編」所載のものを用いた。両二十境図は本書の論述の根幹をなしている。掲載を許可された両図書館に厚く感謝申し上げたい。
 1989年4月に発刊された、福島大学名誉教授の故菅野宏先生の著書「白雲館墓碣銘」(白雲館研究会刊)と「白雲館二十境雑記」(「芸文福島」1号)に導かれて、私の二十境研究は始まった。この二著は高子熊阪家白雲館と二十境について書かれた教科書的な存在で、いつも傍らに置いて利用させていただいている。先生の晩年に先生のご研究を知り、ついぞお会いすることができなかったのが、心残りである。
二十境の漢詩の解釈について一番の便宜と多くの示唆を受けたのは長谷寺住職の故平林宥尚大僧正が6年間にわたって保原公民館報に連載された「永慕編二十境詩」の全訳であった。熊阪氏の漢詩は難しい漢字を多用しているだけでなく、中国の膨大な文献からの引用が多い。平林大僧正の魅力に溢れたこの労作がなかったなら、漢文の素養がまるでない私は二十境の漢詩を味わうことも楽しむことも出来なかったであろう。
 当たり前のことだが、学問とは真実を追究していくことである。誤解を招く二十境の標柱や、あまりにも配慮が足りない二十境のパンフレットや出版物に対し、時には厳しい声を発したことがある。不愉快な思いをさせてしまった方々がおられたかもしれない。二十境を思う気持が強かったためであると、寛恕をねがうしかない。今後拙著に対してご批正いただくこともあろうと思う。伏してご教示を乞う次第である。
 1999年に保原資料館で開催された「名勝高子二十境展」で私の二十境研究にエンジンがかかった。振り返れば、このとき結成された高子二十境調査隊の方々と本気モードで二十境めぐりしていたのを思い出す。
 2004年には保原資料館の二十境詩吟講座に参加した。講師は福島岳風会の立島吉治先生(保原住)だった。私は最後まで合格点がもらえなかった。先生は数年来お仲間と高子地区の桃の花イベントで二十境の漢詩を吟じてこられていた。高子山の桃畑での二十境吟詠はたいへん素晴らしかったが、なにか物足りなさがあった。それは、二十境の詩吟がこの行事のメーンでなかったからであろうか。私は二十境関連の詩吟や現代詩の大会が毎年高子の地で開かれる夢をみたことがあった。最近、同じ思いの方が増えてきているのを感じている。
 2007年、私は福島市内の書店で偶然手にした九州大学名誉教授・福岡大学元教授中野三敏先生の御著「書誌学談義 江戸の板本」に周俊画の「白雲洞」の図が掲載されていて、びっくり仰天した。この出合いを奇跡と言わずして何と言おう。中野先生にお手紙を差し上げると、すぐに先生は周俊画の二十境図が載っている「永墓編」初版の複写本を贈って下さった。大恩人である。先生がこの原本の元の所蔵者であられたのも実に奇遇であった。
 このたびの上梓にあたり、中野三敏先生と福岡大学准教授高橋昌彦先生にご面倒をおかけし、たいへんお世話になった。深く御礼申し上げる。

 明治以後はじめて高子熊阪氏の業績を高く評価してくれたのは福島県立図書館長阿部泰葊氏(福島市金源寺住職)であった。阿部先生は熊阪氏の著作本を積極的に購入や筆写等により同館に残してくださった。同館の「永慕編」と「永慕後編」は共に「福島県立図書館」の所蔵印と「昭和11年5月19日購入」の書きこみがある。また「律詩天眼」は昭和11年6月の購入、「蘭園余稿」と「韓館応酬録」はこれらより早い昭和8年11月の収集であった。私たちはその恩恵に浴して、簡単に熊阪さんの著書を手に取ることができる。阿部先生の功績を少しでも皆さんに知っていただければと思う。このことを記し、あらためて先生へ感謝の意を表したい。

 平成23年(2011)3月11日、東北の地は東日本大地震に襲われた。M9クラスの巨大地震であった。福島県浜通り地域は高さ10mを越す大津波が押し寄せ、多くの犠牲者がでた。そればかりでなく福島第一原発が機能不全に陥り、メルトダウンが起り、建屋などが爆発して、大量の放射能が漏れるという前代未聞の事故が発生した。福島県は広い範囲が放射能に汚染された。放射能による死者こそ出ていないが、家屋敷や田畑や山林が汚染され、多くの農産物が出荷できなくなった。海も汚染され、沿岸や近海の漁は禁止されている。濃度の程度にもよるが、放射能が人間に影響を及ぼさなくなる程度まで自然消滅するまでに数十年はかかるらしい。
 避難して帰れない人々が大勢いる。低放射能でも子供や妊婦には影響があるという説があり、福島を離れた若い家族もいる。当時は情報が錯乱していて、放射能が高い地域へ避難してしまったり、病院の患者がとんでもない場所に次々に引き回されて死亡したりもした。  ここ伊達の地にも放射性物質が飛んできて降り注いだ。特に南部の地域に放射性レベルが高いところがあった。安全基準値を超えた農作物が出て、出荷自粛の措置が続いた。特産の桃や「あんぽ柿」は大きな痛手を受けた。2年目の今年は、桃については除染作業の効果が出たらしく、安全基準をクリアーできたという。柿はまだ結果が出ていない。一般の野菜も多くは基準をクリアー出来ており、地元産野菜を食べる人も増えている。
 いま私の自宅は屋外が0.4マイクロシーベルト、室内が0.2マイクロシーベルトくらいである。これが安全な数値なのかどうかは分からない。いまのところは、人間も周りの動物たちも植物たちも放射能による異常は見つかっていないようである。長期的にどうなのかは分からない。事故原発の処理作業にあたっている方々は相当量の被曝であろうが、ぜひ頑張ってもらいたい。
 現在、県内各地で汚染された表土を除去する除染作業が行なわれているが、放射性物質を含む土などを捨てる場所がない。なかなか地域住民の合意が得られない。人家からはるか遠い場所に安全に隔離するしか方法がないというのだが、その場所(中間貯蔵所)さえ決まらない現状である。最終貯蔵場はなおさら決まらない。一般のゴミ焼却場から出る灰にもかなり放射性物質が含まれている。浄水場でも同じように汚染した汚泥が出ている。敷地に一時保管された汚泥は異臭を放っている。福島県内ばかりではない。東北・関東地区でも出ているという。行き場がない汚泥と汚灰はどこへ行くのだろうか。
 大体において、今回の原発事故がなくても、原発を運転すれば必ず核燃料廃棄物などの核のゴミが出る。放射能汚染物質の最終貯蔵場や最終処分場は、日本では青森県六ヶ所村にそれらしきもの(最終ではないらしい)があるようだが、既に満杯に近いという。アメリカでも砂漠の地下深くに埋めて置くしか手立てがないのが真実らしい。やがて核のゴミ穴は満杯になり、新しい穴を掘ることになろう。
 難題を未来に先送りしないで、現在の人々が良い知恵を出し合うべきである。このようなときに生命や安全や平和と無関係な本を出版するのは大事な仕事を放棄しているように思えて仕方がない。しかし私も小さな被災者の一人である。立ち上がろうとする小さな自由とその享受をお許し願いたい。 

ふくしまの昔話 絵本「伊達の桃太郎」 まく たろう著 ----------------------------------------------------------------------------

   平成22年7月31日発行  A4判変形 56ページ・カラー   上製本(愛蔵版) 2,500円(税別) 並装本は品切れ
  贈答用として、美味しい伊達の桃とのセットはいかがでしょうか。

「伊達の桃太郎」は今からおよそ三百年前に伊達地方で語られていた昔話です。これまでの「ももたろう」にないストーリー、ちょっと変わった福島の桃太郎です。「伊達の桃」は、たいへん味が良く、この世のものとも思えないような、おいしい桃でした。また生命が若返る不思議な力のある桃だったようです。この昔話「伊達の桃太郎」の原典は「紀桃奴事」(熊阪台州編著『含?紀事』所収、寛政4年(1792)刊)です。原典は全て漢文です。「紀桃奴事」は、当時この地方で語られていた昔話「桃太郎」を漢文表記にしたものです。「伊達の桃太郎」はおよそ原典に依拠していますが、少し脚色してあります。
 熊阪台州は元文元年(1739)に保原の高子に生まれました。幼年のころ、祖母や母から桃太郎の昔話を聞かされ、育ったに違いありません。今回は大人が読んでも楽しい絵本となりました。中高年向きかもしれません。

 本 桃太郎本

「阿武隈川の埋もれ木(土龍舎発行)」  松浦丹次郎著  ---------------------------------------------------------------------

 平成21年9月18日発行  A5判173ページ   2,000円 → 割引価格 1,000円 

  本

目 次

第一部 阿武隈川の埋もれ木細工(作品紹介)

文房具 硯箱 筆置 文鎮 ペン皿 ペン立 香道具・茶道具 香合 香入 香挟 香箸 香炉の蓋 香立
なつめ 茶入 茶杓 茶匙 菓子器 茶托・菓子皿 その他 花台・ミニテーブル 箱物 ループタイ ネックレス
数珠 楊枝入 楊枝立 拍子木 靴べら ペーパーナイフ 印鑑 パイプ 壁ハンガー ポールハンガー オブジェ

第二部 阿武隈川の埋もれ木(考察)

第一章 埋もれ木の歴史
伊予国の扶桑木  名取川の埋もれ木  阿武隈川の埋もれ木  阿武隈川の埋もれ木を使った建築
第二章 埋もれ木の採集とその魅力
埋もれ木との出会い、化石との出会い  埋もれ木と柿渋染め  埋もれ木を燃やしたら、鉄が採れた!
埋もれ木に鉄が滲入  埋もれ木採集の遍歴  埋もれ木の魅力  埋もれ木の樹種と年輪
香木のような埋もれ木  海の埋もれ木  あぶくま沈木会

「伊達氏誕生(旧版 寂静院発行 絶版)」  松浦丹次郎著 -------------------------------------------------------------------------

  昭和57年9月16日発行 B5判202ページ   2000円 
 目 次
 1粟野の地名由来と伊達氏三代      2梁川八幡と龍宝寺 
 3二野袋の地名由来と懸田御前      4桑折藩と五十沢陣屋 
 5梁川町の和算家たち         6上杉氏の取箇法と七百文替出目 

 序文
  ※序文 福島大学教授小林清治先生  
  ※昭和57年7月、著者が梁川の広瀬川の川底の岩盤からサメと思われる骨化石(1600万年前)を発見、発掘した写真記事を紹介。

  本

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