パレオパラドキシアは、水陸両生の、カバに似た大型動物。およそ1600万年前の動物化石である。特色のある珍しい歯をもっていた。歯の断面が奇麗な渦巻きになっているのである。
フィギュア 想像のパレオパラドキシア
昭和57年7月、最初に発掘された骨化石(肋骨) 同じくその断面 当時A氏が使った道具(タガネとハンマー)
昭和57年(1982)7月の土曜日、梁川在住のA氏は近所の小学生Bさんと梁川高校の崖下の広瀬川で貝の化石採りをしていた。なかなか良い化石が見つからず、そこから少しづつ上流へ移動して行った。高校の崖下から東南東へおよそ200mの付近で、A氏は広瀬川の川底に白っぽい化石らしきものが点在しているのを見つけた。水かさが15cmくらいあった。川底の岩が突き出て割りやすい部分にタガネを当てハンマーで割り落とした。砕けた小粒の岩クズは水流に流されたが、両手を広げたくらいの大きさの岩を一個手にすることができた。
昭和58年8月、干上がった川底に現れた謎の大型動物化石の産状
矢印は昭和57年7月に最初に発掘された部分の位置
以下は、同じ昭和57年、梁川町堰本小学校の裏山を削って造成したときの地層と出土化石。貝化石がたくさん出土していた筈だが、小学校ではごくわずかしか採集していなかった。化石が入っている地層の時代は同じ梁川層の1600万年前。化石を含んだ岩石はほとんど価値が見出されないまま、数キロメートル先の公園造成地の山の谷の埋土として運ばれて行ってしまった。ほぼ捨てられたに等しい。その上には厚く上土が被せられ、木々が植えられてしまった。これも文化財担当職員の無知ぶりが分かる一例である。もし、これらの化石をいっぱい含んだ岩石がどこかの空き地に保存されていたら、町教委がそのように指導できていたら、小中学生たちは何十年にもわたってすばらしい化石の勉強が出来たろうと思われる。町教育委員会はそれらを廃棄してしまったと言っていい。もったいない話である。A氏にしても、堰本小学校の造成工事をしていることを知ったのは工事が終わりかけたころだった。現場で少しだけ化石を拾わせてもらったに過ぎない。
A氏が採取した大型脊椎動物の脊椎部分の骨化石は梁川の広瀬川で出たパレオパラドキシアの脊椎よりやや大きい感じがする。新種の大型の哺乳類の可能性もある。木の幹の化石は直径13cm弱の丸太状で、樹種は分からない。どちらも保存状態はきわめていい。
昭和57年、堰本小学校裏山造成中にたくさんの化石が出た地層(灰青色の部分が化石包含地層)
脊椎動物の脊椎骨化石か。新種の可能性もある・・・。
木化石
貝化石
※参考 : 「梁川町内の化石」(「阿武隈川の埋もれ木」に所収、2009年11月 土龍舎刊) 、1987昭和57年9月刊の「伊達氏誕生」にも、この夏に発掘した化石写真が掲載されている。
「企画展 海獣パレオパラドキシア」(福島県立博物館編著、2000年7月刊)
「梁川化石海獣パレオパラドキシア発見記1・ 2」
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