阿武隈川埋木が好きだった高子の熊阪氏と門人中木氏 

 佐久間洞巌の「奥羽観蹟聞老志」に半世紀ほど遅れて天明7年(1787)に、高子村(現伊達市保原町大字上保原)の儒者で豪農の熊阪台州が「信達歌」を著し出版した。熊阪氏は覇陵、台州、盤谷と三代続いた儒者・豪農として知られる。中でも台州は、最も著作出版活動が盛んであった。邸内には「白雲館」と称する学塾があり、多くの門弟が通っていた。「信達歌」は信達地方の歴史や文化や熊坂家の栄華等を大長編の漢詩に詠んだもの。第一部は台州の叙事詩と息子盤谷の註記、第二部は盤谷の考証付録。ここには儒家として文化人として詩人としての台州の才能が躍如としている。これほど上手に信達地方の歴史文化を歌い上げた叙事詩はない。実にすばらしい歌である。現代の私たちもこのくらいの歴史や文化は知っておきたいもので、地元の中学生や高校生には郷土学習の副読本として一読をお薦めしたい。

 「信達歌」に「洞穴尽是波濤痕、隈川沈木国風詠、井底萍実我旧論、(解釈:洞穴尽く是れ波濤の痕、隈川の沈木は国風に詠ず、井底の萍実は我旧論たり)」とある。「沈木」は埋もれ木である。阿武隈川の埋もれ木は国風すなわち中央の人々の和歌に詠まれているというのである。なお、熊阪氏については、 高子二十境を、「信達歌」については、熊阪台州著「信達歌」を参照してほしい。

 熊阪盤谷は「信達歌考証付録」の中で阿武隈川の埋もれ木とそれを詠んだ和歌三首をあげている。

  隈川沈木
    隈川ノ崩崖、往々之ヲ出ス。其ノ質、或ハ赤、或ハ黒。以テ器ヲ製ス也。秀ガ家ノ曳尾堂書架窓□、皆此ノ木ヲ用テ製スト云フ。
  新古今 雑
   最勝四天王院の障子に逢隈川かきたる所
   君が代に阿武隈川の埋もれ木も 氷の下に春を待けり   藤原家隆朝臣
  夫木集 隈部
   ふかき秋阿武隈川原しくるれど 色こそ見えね瀬々の埋もれ木  藤原康光
  後拾遺 旅
   いなかに侍りける頃 つかさめしを思ひやりて
   春毎に忘られにける埋木は 花の都を思ひこそせれ   源重之
            (「信達歌考証付録」熊阪盤谷編著)

    ※新古今集は1205年成立、夫木集は1310年ころ成立、後拾遺集は1086年成立。

 熊阪氏と門人中木氏は阿武隈川の埋もれ木にご執心

 「信達歌考証付録」によれば、阿武隈川の埋もれ木は川岸が崩れた崖などに顔を出して見つかるとしている。確かに洪水で崖が崩れ埋もれ木が出土することはあろう。しかし多くは、川底深く眠っていたものが洪水の後に川原や浅瀬に置かれていくものである。古歌に詠まれているような阿武隈川の埋もれ木は、川面に少し首を出している埋もれ木のイメージである。高子の熊阪家の「白雲館」では、曳尾堂(図書室)の書架や窓枠に阿武隈川の埋もれ木材を使用していた。埋もれ木の色は赤ないしは黒であったという。もちろん埋もれ木灰が入った香炉で聞香を楽しんでいたであろう。

  文台 阿武隈川埋木製の文台(復元品 ナラ材) 

 さて、盤谷は註書で、世に言う埋もれ木灰は阿武隈川の埋もれ木を燃やした灰であるとしている。盤谷は名取川の埋もれ木を知らないはずはない。熊阪家の蔵書の中にも「奥羽観蹟聞老志」がある(保原町史第五巻)。盤谷は郷土愛が強すぎるのであろう、阿武隈川の埋もれ木を燃やした灰だけが埋もれ木灰と言わんばかりである。埋もれ木灰の色は紫色や赤色であるという。香炉の灰に使用すれば、火持ちがいいという。数寄者の好むところという。これらの記述は先の「奥羽観蹟聞老志」の名取川の埋もれ木についての記述の内容とほとんど同じで、名取川を阿武隈川にすり替えていると言ってもいい。すり替えといっても、事実でないというのではない。名取川同様、阿武隈川の埋もれ木も平安時代の昔から都の人たちの古歌に詠まれてきたのである。
  灰 埋もれ木灰 赤茶色の灰 阿武隈川産
 

 阿武隈川の埋もれ木に関する中木氏の漢詩

 中木維明は熊阪氏「白雲館」の門人の一人。梁川の人で、兄好問とともに熊阪氏の門人であった。好問は「白雲館」の中で筆頭格であり、「永慕後編」の跋を書いている。また維明は蚕業発展に尽くす傍ら、漢詩や絵画を楽しんだ。中木兄弟は仙台の画家東東洋と親交があった。次の資料は文化7年(1810)12月のもの。なお、この年5月に維明は京への旅をしている。

 武隈川我奥之一大河也、洪水横流□、崩崖往々出沈木焉。
 蓋其名入国風、欝高于詞林、其材得人工尤宜成、書案云、洛松君永祥嗜国風亦□我家兄同好也。
 因、冬月待水涸取之、題詩遥寄贈情、是于□辞。
   (文化7年)庚午冬朧月初丑   中木維明   

 「永祥」は松浦氏と思われる。維明の友人である。当時は上洛していた。和歌を嗜む。好問も同様であった。彼らは漢詩も和歌も両手使いだったらしい。
 また次の漢詩も維明のものである。おそらく中木兄弟は阿武隈川の埋もれ木で文房具をこしらえ、愛用していたのである。

 由来沈木出隈川、曽入隆公氷下篇、
 我今取供文房用、期遅詞人展彩□、

 「箱崎の渡し」と福島渡利の弁天様

 次の漢詩は、維明が文化10年10月に上洛するとき、阿武隈川の渡し場で兄好問が別れの漢詩を贈ったが、それに対する返歌である。この渡し場はおそらく箱崎の渡し(瀬上の渡し)であったと思われる。その日は冬の雪が降っていた。夕暮れ時に川鵜が岸辺の木に宿り、白鷺は釣り磯に佇んでいた。「物氏碑文」は福島の渡利椿館の弁天社(現在は天神社境内)にあった荻生徂徠の阿武隈川舟運に関する碑文のことである。江戸への米の移出や塩荷の買入れには、川と海を利用する舟運が便利であった。この碑文は、阿武隈川舟運路を完成させた渡辺友以を讃え、渡辺が舟運の安全を祈って祀った水神「弁財天」(妙音天女さま)の由来を書いた碑である。この碑は行方不明になっている。また「雲錦」は旧山口村の文知摺観音境内にある名所「文字摺石」のことである。「隆公」は藤原家隆。「遂憐氷下同沈木」とあり、阿武隈川の埋もれ木を詠んだ家隆の歌をひいているのが分かる。二つとも古歌に詠まれた名所である。最後の句は、家内の女たちは来春私が帰ってくるのを待っていよう、とある。起承転結の見事な詩である。風景の中に歴史や文化を読み込みながら別離の心情がうたわれている。家隆の歌は格別この場に活かされている。物氏碑文も旅の安全と関わっている。

   渡隈川用家兄送客之韻
 雪道四山向帝畿 隈川暮留混征衣  
 昏鵜日短集津樹 白鷺風□立釣磯  
 物子碑文雲錦表 隆公歌詠月毫揮
 遂憐氷下同沈木 家女春来待我帰

  弁財天 弁財天  

 ●ついでながら、「渡利の弁財天」の由来の一部を紹介しておく。この文書は安永6年(1777)のものである。

   「弁財天御宮再建立勧化帳」(表紙)   
 奥州伊達信夫両郡往古米沢様御旧領之節、舟路無之ニ付、穀物下直之御場所故、半石半永御定、年来之所、相場御平均之上、金壱両ニ七石買之永納定、御直段ニ御極メ被成置候所、
 其後御料所ニ相成候而も、信達両郡御年貢米、阿武隈川通、百拾四ヶ年已前寛文四辰年迠舟路無之、村々より水沢沼上河岸迠拾八九里、又者六七里之場所、山坂之難所附送、或者背負舟積被致候ニ付、御城米も三ヶ年目ならてハ江戸着不仕、多分欠米相立、両郡御百姓中一統困窮被及難儀、猶又運漕方捗取不申ニ付、御公儀様ニも多分欠米出来、諸国ニ無之御不益之御場所故、地御払ニ相成候ニ付、相場弥及下直ニ、金壱両ニ米七八石位、大麦拾五六石位之安直段ニ、先祖より之遺書ニ相見得申候。
 右躰諸国ニ無之、甚御不益之御場所、其上両郡御百姓中末々迠御難渋之儀を、五代已前之先祖渡辺友以、致□□福島より仙臺御領水沢沼上迠之瀧々難所巌石之様子、得与見分、御公儀江御忠節幷両郡御百姓中萬代不易之益ヲ相考、
 寛文四辰年、伊奈半左衛門様御代官所之節、奉願候所、達御聞、御願之通被仰付候ニ付、川浚普請取懸、自分金壱万両余ニ而舟路成就仕、奥羽両国御城米運漕御用相始申候。右切を以、定御請負被仰付、於福島河岸ニ千坪余之居屋敷拝領仕、 其砌両郡繁栄幷川通為守護神、江州竹生島弁財天勧請仕、只今以別当幷庵主附置申候。
 然所舟路無之已前之穀物相場与引双見候所、抜群ニ引上、信達両郡も弥増繁昌ニ相成□、尊天之御加護自然与両郡御百姓中御益筋罷成、先祖之旧切も門(川)あらん限相残、お子孫致大慶候。然所御料所之方も三拾ヶ年来追々御私領渡ニ相成、御廻米も先年より格別相減シ、猶又古来者舟之目廻御仕法ニ而於水沢沼上河岸ニ相済来候所、(以下略、別の機会に紹介したい)

 梁川の「愛宕山春景図」  東東洋と中木兄弟の結晶

 中木維明(=木敬夫)は翌文化11年春に帰国した。京では仙台出身の大画家東東洋と懇親し、餞別に東洋から撫子の花の種を贈られている。この年5月、東洋は仙台に帰郷する途中、梁川の中木維明宅に寄った。このとき東洋は維明のために梁川の「愛宕山春景図」を画いている。愛宕山の桜は維明が手ずから植えたものだった。次にその画賛を記す。

 梁川城東有名山宕丘、木敬夫手栽小桜数千樹、対余謂、
 過十載之後重、当褰裳来満山花開日、実足以与濃争衝矣、
 敬夫時六十隠於身牆、東楽而無憂也、是正中其寿者、故都為後期如此、
 余試写山端春景以為贈。
    文化甲戌夏五月     白鹿園(落款)   ※白鹿園は東洋の雅号。
  愛宕山 愛宕山の春景色

  愛宕山  愛宕山上の愛宕社石祠

  
 阿武隈川で埋もれ木を発見
 熊阪台州著「信達歌」を読む
 川埋もれ木の風景
 埋もれ木 箱物

  ◆(参考) 『埋もれ木に花が咲く~名取川埋もれ木と仙台埋木細工~』(松浦丹次郎著 土龍舎 2016)


  ●お問合せ等は下記へ
     伊達の香りを楽しむ会    


  inserted by FC2 system