文禄3年(1594) の「定納員数目録」に海津城主須田相模満親の知行高が12086石と記載されている。上杉家中では執政(家老)直江兼続に次ぐ大身であった。満親は勇猛な武将として知られていた。満親の長子満胤(1902石)は慶長2年(1597)、京都伏見城船入普請の不備で改易となり浪人した。村上城主本庄越前守繁長(室は須田満親の娘。後の福島城代)の長男本庄豊後守顕長も須田満胤と同様に浪人した。満胤夫人キタは直江兼続の妹であるが、息子とともに本庄繁長を頼り本庄家に入った。このため須田家は次男大炊介長義が跡を継ぎ、本庄家も次男出羽守充長が跡を継いだ。さらに須田家に不幸が訪れる。慶長3年2月、須田満親は上杉家の会津移封に憤慨し、海津城で抗議の自害をしたと伝えられる。
慶長3年、上杉景勝が蒲生氏郷の後を受けて会津若松城に移された。蒲生領に自領の庄内地方と佐渡地方をあわせた、120万石の大大名であった。梁川城代には同年4月須田長義(23歳)が2万石で配された。須田はこの年2月に田村郡守山城代に配されたばかりだったが、岩出山城主(仙台城主)伊達政宗に対する北辺の備えとして剛者として知られる須田長義を急遽梁川城へ移したのであった。一方、福島城には慶長3年春 水原常陸介親憲が5,500石で配されたが、慶長5年春には老獪な本庄繁長(62歳)が守山城から10,000石で移された。
須田長義の菩提寺 興国寺 須田長義墓
須田長義の炭塚
慶長5年(1600)7月、伊達政宗(34歳)は上杉領の白石城を攻略し、落城させた。10月、政宗は先祖伝来の故地伊達郡・信夫郡を奪還しようと梁川城や福島城を果敢に攻めた。しかし上杉家臣の猛将須田長義や本庄繁長らの戦力の前に屈した。伊達郡には政宗の負け戦の話が面白可笑しく伝わっている。慶長6年春(慶長5年夏の説もあり)の伊達信夫の合戦で、政宗は家紋入りの陣幕(九曜紋幕と看経幕)を上杉軍に奪われ、命からがら摺上川沿いに逃げ、北目城へ帰ったという。奪ったのは須田長義配下の曽田宇平次と中村仙右衛門であった。山田勘解由の説もある。
関が原の合戦で石田三成に呼応したことで、上杉氏は責めを負い、慶長6年9月、減封され米沢30万石となった。須田氏も6,666石に減封されたが、引き続き梁川城代の職にあった。
慶長15年12月、将軍徳川秀忠が上杉景勝の江戸屋敷へ御成になったとき、景勝は御馬屋の前に須田長義が伊達政宗から奪った看経幕を打ちつけておいた。台所の門には同じく九曜の紋幕を打ち付けた。将軍には伊達政宗・施薬院宗伯らが相伴していた。政宗は赤面し、はなはだ迷惑の体で、笑止千万であったという(東国太平記)。またある年、上杉景勝邸に招待された伊達政宗は、須田を呼び寄せ、梁川合戦の当時を懐かしんで酒杯を交わし、金作りの太刀一腰を与えたという(奥羽永慶軍記)。
慶長19年(1614)、大坂冬の陣のとき、上杉家は大坂城鴫野口に配置された。同年11月、先手の須田長義は高名を上げたが、手傷疵二ヶ所負傷した。元和元年(1615年)正月17日、比類なき働きにより将軍徳川秀忠の御前へ召しだされ、感状と腰のものをいただいたという(近世軍記)。須田はこの傷がもとで元和元年(1615年)6月1日死去した。
一方、慶長5年に伊達政宗が梁川城を攻めたとき、若松城にいた横田大学・車丹波らが梁川城代の須田氏支援のため梁川城へ派遣された。横田大学は須田とともに松川の合戦や梁川の合戦で伊達政宗軍と何度も戦かった。結局、政宗は梁川城を落とせなかった。横田大学はこの合戦で伊達政宗方に内通したという情報が流され、梁川城に拘束された。実際、横田大学は伊達政宗に密かに軍忠を誓い梁川城攻めを勧めていた節がある(伊達治家記録)。横田は10月人質同然に若松城へ送られた(慶長上杉軍記、直江兼続書状)。このとき、横田が死を免れたのは親交が深かった徳川家康の威光がはたらいたからと見られる。
享保16年の梁川村明細帳は梁川城について「本丸54間・47間、大学館50間・20間」と記している。この「大学」は明らかに人物の名前である。現在、梁川城跡の北辺の北三の丸に遺存する長方形の大きな一郭がある。近年福島大学名誉教授の安田初雄先生が梁川城北二の丸を大学館と推定され、横田大学がここに居城したとされた(安田初雄「奥州信夫伊達検地高屏風絵図とその村々古高新高に関する諸問題」、福島大学教育学部論集第46号)。しかし北二の丸はたいへん狭い。大学館に相当するのは北三の丸であろうと思われる。横田大学がここに居城したというより、横田大学が伊達政宗の侵攻に備えてこの一郭を急造したと考えた方が自然である。だからこそ大学の名が残ったのである。梁川城は伊達時代より数段堅固になっていたため、政宗は梁川城を攻略できなかったのであろう(鈴木啓説)。
梁川城北三之丸の枡形
梁川城北三之丸の土塁と水堀
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