伊達政宗と香

    伊達家の家宝 名香「柴舟」

 香の歴史は古い。「日本書紀」によれば、推古天皇時代、推古天皇3年(595)、淡路島に流木が漂着して、浜の人たちがその流木で焚き火をしたところ、ものすごく良い香りがただよったという。これが日本における香木の初見とされている。香木の原産地はベトナムである。椰子の実同様、日本に流れ着くこともあったのかもしれない。あるいは中国や日本へ運ぶ途中に船が難破して流れ着いたのかもしれない。香は、薫物・空薫物として源氏物語の中に頻繁に現れており、平安時代の公家社会ではひろく使われていたようである。その後、寺院や茶道などを通じて広がった。本来の香は仏教とともに伝来したのかもしれない。香の楽しみ方はいろいろあるが、中世には焚香・聞香・組香などが一般的であった。佐々木道誉が豪快に大量の香木を焚き、バサラ大名と評されて以来、武士階級でもてはやされた。特に有力大名間で名香が取り合いになった。最も良い香りがするのは伽羅で、掌サイズの大きさで家一軒が建つほどの値段がする。
 寛永3年(1626)7月、伊達政宗は、三条大納言光広郷から掛香三十を与えられている。同月、伊達政宗は京で十注香会を催している。同年9月、伊達政宗は伽羅の購入を指示、細川忠利から名香「白菊」を買い、「柴舟」と名づけて家宝とした。寛永12年1月、伊達政宗、「柴舟」を将軍徳川家光に献上し、その礼状が届いた。寛文8年(1668)5月の伊達綱宗書状(藩主伊達綱村宛、名香11色。「香久山」「ねざめ」(「柴舟」「むさしの」以来の名香)、元禄12年(1699)7月の伊達綱宗書状(伊達吉村宛。「香久山」等11色)にも香の記載が見える。この伊達綱宗は元仙台藩三代藩主で、風流好きで有名であった。仙台藩の御家騒動に題材をとった歌舞伎「伽羅(めいぼく)先代(せんだい)萩(はぎ)」の中では綱宗こと足利頼兼は伽羅の下駄を履いて吉原通いしたことになっている。
 香を楽しむ風流は、江戸中期以降、裕福な庶民たちのなかにもひろまった。江戸後期の安政5年(1858)11月20日、仙台の豪商小西利兵衛が伊達郡桑折村の豪商「紙屋喜太郎」へ大量の源氏香(二百把入り六箱)を送った送り状が見つかっている(木谷徳也氏旧蔵)。源氏香は組香の一種で、簡単に言うと香の香り当てゲームである。伊達地方のなかにもゆとりのある町人たちの間に香は取り入れられていたのである。この送り状には「玉崎より川筋桑折町行 送り状之事」とある。仙台~長町~岩沼は陸送で送り、岩沼の玉崎問屋から桑折まで阿武隈川を舟で登らせたことが分かり、たいへん興味ふかい。仙台~長町~槻木~白石~桑折の奥州街道経由のほかに、もう一つ別のルートがあったのである。

 源氏香

 川の埋もれ木も、ノコギリで切断してみると、香りが漂うものがある。芳香が強いものも稀にある。明治22年の記録にも阿武隈川の埋もれ木について、「鋸して板となすに、香気あるに似たり」とある。

参考:「阿武隈川の埋もれ木」松浦丹次郎著   「埋もれ木に花が咲く」松浦丹次郎著

名取川の埋もれ木仙台埋木細工
阿武隈川の埋もれ木

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