天保の凶作と飢饉  

 伊達郡中村(伊達市保原町)の様子について記す。豪商「前木」佐藤家の日記からの抜粋である。この地方は天保7年が大凶作で、年が明けると、乞食者が多数押し寄せて来て、斃れはじめた。天明8年2月のころは毎日70人~80人が来たといい、中でも仙台領や相馬領からの流入が多かったようである。周辺の山村からも新参の乞食が現われた。粥や小銭を与えたが、止まることがなかった。仕方なく村役人たちが話し合い、乞食たちに施行することをしないことに決したという。伊達郡内で行き倒れの者の数は夥しいという。中村でも丸山観音堂で8人か9人死者があった。近在の村々でも同様であった。死者の片付けにもお金がかかった。

 (天保8年) 二月に相成り小喰夥夥敷、一日ニ七八十人余つつ毎日追々多く、尤も仙台相馬両国より夥夥敷出来り、
 近頃は山根辺より新小喰共相見へ、誠に以て嘆ヶ敷覚申し候、手前にては銭壱文つつ遣し候之所、毎日□□つつ、
 其上雑水粥之るへを以て施行す、然る所十二日ひかん之入口、念仏講にて報謝留之相談に相極り、十三日より小喰へ遣
 し不申候、さてさて嘆ヶ敷事言語道断、最早是迄に所々にて行たおれもの夥夥敷
  村々にたおれもの十人十五人つつ仕舞不申候村方無之由、中村にても旧冬より丸山にて八九人も死申候、三□へ壱人
 仕舞に酒手壱朱位つつも呉候哉、是皆役元持、
 追々疫病流行、村々神送り神事、尚又此後追々流行と相見へ申候、是迄にも死去多く、誠に以て嘆ヶ敷事に覚申候、
                    「天保8年 前木佐藤日記」(保原町史2巻)

 1月保原市場価格
  米 0石065(金1分で)    
  大豆 0石125(金1分で)
  生糸 9貫匁で43両2分
  入金綿 9貫匁で31両1分
  手向綿 1両で310匁~315匁 (9貫匁で約29両1分) 
  
 3月保原市場価格
  米 0石053(金1分で)   1升で銭304文
  真綿 入金 9貫匁1箇で28両
  手向 無印 1両で340匁 (9貫匁で約26両1分3朱)

 天明の凶作と飢饉
 江戸時代の伊達郡の米価格


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