「高子二十境」 (たかこ にじゅっきょう)   The Twenty Views of Takako Nijukkyo

  ふくしま伊達の名勝 「高子二十境」は 《高子村海左園二十境》 の略称です。
  江戸時代の詩境の世界が今も残っています。 今や中国の「輞川(もうせん)二十景」を超える存在です。 

 「高子二十境」は江戸時代に熊阪氏(熊坂氏)が創出した詩境(名所)である。ある意味、福島県を代表する景勝地(名勝)であると言っていい。ある意味とは、歴史的に文化的に、ということである。
 場所は、福島県伊達市保原町(ほばらまち)の高子地区。二十境は阿武隈急行電車「高子駅」の周辺にほぼ円形に散在する。
 「高子二十境」は阿武隈急行電車「高子駅」を中心に半径300~700mほどの範囲に、ゆるやかな丘陵上に配されている。丹露盤、玉兎巌、長嘯嶺、狸首岡、高子陂、白鷺峰、白雲洞などロマンチックな名前に誘われて、ついつい訪れてみたくなる。それぞれの場所には熊阪覇陵・台州・盤谷の親子孫三代の漢詩や当時と変わらない風景が残されている。

 丹露盤 丹露盤  二十境の第一 丹露盤 たんろばん

 「丹露盤」は高子山の頂上にある。風化に耐えて残った花崗岩の巨石が見事である。高子山は鎌倉時代初期に伊達氏の初代念西が創築した城跡「高子岡城跡」でもある。800年も前のことである。熊阪家の屋敷「白雲館」の場所は、城主の普段の住居である「根小屋」に当たる。伊達入道念西が居城したのは僅かの期間で、まもなく桑折城や梁川城へ移ったとされている。「白雲館」の地は、明治初期まで「館」という字名であった。城跡であった確かな証拠であろう。 高子城跡について詳しくはこちら→  丹露盤と高子岡城

 白雲洞に、不気味な顔が見える・・・・・

  白雲洞 白雲洞 二十境の第十九 白雲洞 はくうんどう


      二十境案内図    The map of The Twenty Views Takako Nijukkyo
 案内図 1時間30分くらいで歩くのがベストです。3回も歩けば二十か所ぜんぶ踏破できます。

 案内図をブリントし、マップ片手に高子二十境を巡ってみよう。標柱があちこちに建っていますが、正しい場所に建っているかどうかも確認しよう。
 また、覇陵や台州が創作した漢詩を味わってみましょう。残されている当時の絵(風景画)がどの場所で描かれたか、考えるのも楽しいです。さらに余裕がある方は現地で俳句・和歌などを詠めたらいいですね。
 案内図2 二十境探訪地図(印刷用) ←印刷はこちらから A4サイズです

  ★間違った「高子二十境」の地図(位置図)が横行しています。ご注意ください。それらは、拾翠崖・採芝崖・愚公谷・禹父山などが別の場所に設定されている可能性があります。

 高子二十境の各名称

  二十境各名称 二十境各名称(印刷用) ←印刷はこちらから 略地図付 A4サイズです


 「高子二十境」の創始者 熊阪覇陵、そして「高子二十境」の魅力と価値について、息子台州が「永慕編」を出版、公表した!
     その結果、熊阪氏三代の60首の漢詩に呼応して、全国から277首の二十境の漢詩が寄せられた。これを奇跡と言わずして何と言おう!
          「高子二十境」は世界文化遺産に匹敵する!

 高子の儒者、熊阪覇陵(1709--1764)は壮年から晩年にかけて、家の仕事を息子の台州(1739--1803)に譲ってからは特に、心血を村の丘壑にそそぎ、散策した。その場所は丹露盤、玉兎巖、長嘯嶺、龍脊巖、採芝崖、帰雲窟、将帰阪、狸首岡、隠泉、高子陂、不羈坳、拾翆崖、返照原、走馬嶺、白鷺峰、雩山、禹父山、愚公谷、白雲洞、古樵丘の二十箇所であった。これらの名称は覇陵が高子村内の風光明媚な景勝地を二十箇所選び、みずから名づけ、漢詩の五言絶句に詠んだものである。覇陵の息子台州は父の漢詩に和して五言絶句の漢詩をつくった。台州の息子盤谷もそれらに和して漢詩をつくった。熊阪氏三代の漢詩が残されたのである。
 高子二十境の二十の名称は中国的な難解な漢字になっている。それは、高子二十境の二十の名称は中国の長安(現在の西安)の郊外に詩仏と尊称される世界的詩人王維が創った「輞川(もうせん)二十景」を真似たものだからである。
 二十境のそれぞれの場所と位置および覇陵の業績については息子の台州が父を顕彰するために天明8年(1788)に出版した「永慕編」の「二十境記」「先考覇陵山人行状」に詳しく記されている。
 「永慕編」には江戸の絵師谷文晁が描いた二十境の図と熊阪氏三代の60首の漢詩が掲載されている。そして、台州の呼びかけに応じて、全国の高名な文士たちから寄せられた「高子二十境」の格調高い漢詩群277首が後に「永慕後編」として文化元年(1804刊)に編集出版された。ただし、「永慕後編」の中では全ての二十境の漢詩が何の断りもなく《海左園二十境》と題されていて、誤解を与えている面がある。しかしその謎は松浦著「高子二十境」で解明された。
 いま私達は200年前の漢詩を味わいながら、高子の美しい風景の中を自由に歩くことができる。「高子二十境」は稀に見る文化遺産となっている。熊阪覇陵・台州父子のおかげである。
 覇陵は、王維の、世界に冠たる「輞川二十景」を向こうに廻して、日本の地に「高子二十境」を創出した。いまや「高子二十境」は「輞川二十景」に次ぐ詩境となり、名勝となったと言える。いや、もう越えつつある。その意味で「高子二十境」は世界的文化遺産であると言っても過言ではない。  
 なお、谷文晁が描いた二十境の図とそれに先行して掲載された地元の画家周俊の二十境図あわせて40図は「ふくしま伊達の名勝 高子二十境」(2012刊 松浦丹次郎著)に所蔵者の許可を得て初めて公式に掲載された。ぜひご覧いただき、200年以前の姿と現在の風景の変化等をお楽しみいただければと思う。そうすれば、漢詩の意味もより深く味わえるであろう。

 高子館
   高子山の中に、高子二十境のうちの一番丹露盤~七番将帰阪の七境がある。八番が狸首岡である。
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 「高子二十境」の詳細については、以下の項目をご参照ください。

高子七境の確定とネーミングの手法
高子二十境の漢詩の鑑賞
熊阪覇陵の高子二十境めぐり お薦めコース
伊達氏初代念西が築城した高子岡城
高子二十境「愚公谷」・「禹父山」のこと
高子二十境「白雲洞」について
高子の熊阪氏と文化の花園「白雲館」
間違った場所に建てられた高子二十境の標柱
高子の熊阪一族を讃える歌
二十境絵葉書
熊阪台州著「二十境記」解読文
熊阪覇陵の養父、熊阪助利の遺訓
中国の王維の「輞川二十景」


◎参考書:「永慕編」(熊阪台州編著)、「白雲館墓碣銘」(菅野宏著、白雲館研究会発行)、「高子二十境調査報告書」(高子二十境調査隊編・発行)、
  「ふくしま伊達の名勝 高子二十境 ~高子熊阪家と白雲館文学~」(松浦丹次郎著、2012年8月土龍舎刊、2013年福島民報出版文化賞受賞)ほか



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